東京がいやで、札幌、そして伊達と移り住んだ自分の背景のどこかには、やはり「スロウに生きる」ある種のあこがれがあった。
確かに、この伊達には満員の通勤電車はない。追い立てられる車の渋滞もない。
私の通勤もできるだけ自転車を利用している。
だが、実際の生活は仕事と家庭のやることに多さに忙殺され、
「スロウ」とはほど遠い生活になっている。
「スロウ」な生活をするには、やはり、
「もうやり尽くした・・・」と人生で思わないとだめなのだろう。
「もう疲れた・・」とか「もう飽きた・・・」とかは、時間が経つと変わってしまうものだ。
そして、
40代なんて、今働かなくていつ働く?という年代であり、実は「スロウ」を求める事自体がおかしいのかもしれないと思うようになった。
こうして、朝は下りで自転車で通勤しても、昼に自宅に昼食でもどるときは社有車を使って往復するのもよろしい、と自分で言い訳している今日この頃である。
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