伊達市は旧大滝村と平成18年3月に飛び地合併。
もとは壮瞥町を含めての3市町村対等合併のはずであったが
壮瞥町が離脱。
結局大滝村は伊達市の一部となり、大滝区となった。
大滝区となったこの地域は伊達市中心部より車で約30分〜40分。
国道453号と270号が通る山間地域で人口は1500人ほど。
札幌市南区や千歳市と接する。
戦前は鉱山産業があり、昭和40年代くらいまでは
それが大きな産業であったが、閉山後、早くから
福祉の村としての位置づけを開始。
今も多くの福祉施設がある。
北湯沢温泉があり、野口観光が大型温泉滞在施設を運営して
札幌を始め、多くの人がここを訪れる。
交通は道南バスのみ(終点まで1時間)なので
両親はレンタカーを半日借りていくことにした。
目的は北湯沢温泉とノルディックウォーキングコースの散策。
ノルディックウォーキングコースは、夏はノルディックウォーキング、
冬はノルディックスキーの国際大会が行われる、大滝自慢の資産。
最近は健康志向も上昇して、特にノルディックウォーキングの
人気は高くなってきている。
→ ノルディックウォーキングの紹介
このコース内にあるナイアガラの滝は
私も大好きな滝のひとつで、四季折々のすばらしさを
見せてくれる。
北湯沢温泉の名水亭は、第一と第二とあるが、
第一名水亭には大露天風呂、第二名水亭には外に温泉プールがある。
ただし水着着用が必要。
なお、北湯沢温泉には名水亭の他にも「御宿かわせみ」という
川べりにある露天風呂を持つ宿もある。
両親は車で、奥の方にある「三階滝」に行って「タピオラ」という
レストランによりながら、ノルディックウォーキングコース、
そして温泉につかって帰ってきた。
両親の感想
・滝は結構きれいでよかった
・温泉はもっとゆっくりつかりたかった
・途中の野菜直売所めぐりも今度ゆっくりとしたい
季節移住/定住を目的に訪れる方々に、いろいろなご用聞きをしながら地域とつなげていく「移住コンシェルジュ」。 道内ではもとより、全国的にも移住の地として有名になってきた北海道伊達市の移住コンシェルジュの日記。
2009年6月28日日曜日
イベントシーズンに突入!
北海道のアウトドアイベントのシーズンは短い。
5月連休明けてから、せいぜい10月半ばまで、半年あるかないかといえるだろう。
両親たちは先日金曜日、久々の天気になったので市内でレンタカー(トヨタレンタリース)を借りて豊浦→真狩→ニセコ→倶知安→余市→岩内→倶知安 ・・・というふうに積丹半島をぐるっと一周するドライブにでかけた。
どこに寄ったのか聞いたが、ほとんど車に乗っていたというから両親らしいと笑ってしまった。田舎に来てまでも、なんでそんなに急ぐんだろうか。
ま、まだ地方の生活のペースになっていないということか。
結局ぐるっとドライブだけして日帰りの旅は終わり、次の日は疲れて滞在アパートで休息したらしい。ちなみに、我が家へのおみやげは真狩の湧き水18リットル。容器を現地で1,000円も払って、重いのに買って入れてきてくれたという。
6月28日(日)は伊達市では市の中心部にある道の駅界隈で大規模なフリーマーケットが開催され、同時に前日からは伊達紋別駅そばの石蔵で恒例のアート市楽市らく座があった。
妻は少ない収入の親父を横目にせっせと4人の子どもたちのための買い込みに走るのであった。
前日27日(土)に、11月まで毎週土曜日早朝に伊達漁港で開かれる「海の母ちゃん朝市」に行った両親は、新鮮なタコや魚などを購入。「タコは安い・・・」と感動していた。
そして日曜日は朝からフリマ。そして楽市。有珠善光寺ではアイヌのお祭り「イチャルパ祭」もあるはずだった。
この日はとても天気がよく(25度くらい)、多くの人でにぎわった。
アイヌイチャルパ祭にも連れて行きたかったが、結局フリマと楽市両方を息子に引き回され、どこも混んでいる中、空いている昼食の店(ぶどう山荘)を見つけて食事。ハンバーグと天ぷらざるそばを頼み、量は多かったが味はまあ満足そうであった。
疲れた両親は昼寝をすると言うので2時過ぎに滞在アパートに届けられた。
5月連休明けてから、せいぜい10月半ばまで、半年あるかないかといえるだろう。
両親たちは先日金曜日、久々の天気になったので市内でレンタカー(トヨタレンタリース)を借りて豊浦→真狩→ニセコ→倶知安→余市→岩内→倶知安 ・・・というふうに積丹半島をぐるっと一周するドライブにでかけた。
どこに寄ったのか聞いたが、ほとんど車に乗っていたというから両親らしいと笑ってしまった。田舎に来てまでも、なんでそんなに急ぐんだろうか。
ま、まだ地方の生活のペースになっていないということか。
結局ぐるっとドライブだけして日帰りの旅は終わり、次の日は疲れて滞在アパートで休息したらしい。ちなみに、我が家へのおみやげは真狩の湧き水18リットル。容器を現地で1,000円も払って、重いのに買って入れてきてくれたという。
6月28日(日)は伊達市では市の中心部にある道の駅界隈で大規模なフリーマーケットが開催され、同時に前日からは伊達紋別駅そばの石蔵で恒例のアート市楽市らく座があった。
妻は少ない収入の親父を横目にせっせと4人の子どもたちのための買い込みに走るのであった。
前日27日(土)に、11月まで毎週土曜日早朝に伊達漁港で開かれる「海の母ちゃん朝市」に行った両親は、新鮮なタコや魚などを購入。「タコは安い・・・」と感動していた。
そして日曜日は朝からフリマ。そして楽市。有珠善光寺ではアイヌのお祭り「イチャルパ祭」もあるはずだった。
この日はとても天気がよく(25度くらい)、多くの人でにぎわった。
アイヌイチャルパ祭にも連れて行きたかったが、結局フリマと楽市両方を息子に引き回され、どこも混んでいる中、空いている昼食の店(ぶどう山荘)を見つけて食事。ハンバーグと天ぷらざるそばを頼み、量は多かったが味はまあ満足そうであった。
疲れた両親は昼寝をすると言うので2時過ぎに滞在アパートに届けられた。
2009年6月27日土曜日
車がないという生活環境
確かに、40代の私が車なしの生活を考えることは普段ない。
しかし、70代の都会からくる年配からしてみれば、
あちらではもう乗ることもなくなった車が
地方生活で生活必需品となると、
いきなり地方暮らしのハードルが高くなる。
両親がお試し滞在をしている伊達市の施設は、
市内中心部から車では5分とかからないが、歩くとなると
20分はかかる舟岡町のアパート。
最初から車がない生活を想定していたらしいが、
どうもそうもいかないので、最近安くなっている電動自転車に
乗ることにした。
父親は脳溢血もやったが、問題なく回復、だがそのあとの
肺がんでは2回にわたって手術をして左肺の1/3を摘出。
息が苦しくなるのでどうしても運動をしなくなる。
母親は頭蓋骨を2つに割る大手術をして脳出血を治したが
その後奇跡的に回復。歳の割にはかなり足も早く、しっかりと
している。(ただ、耳が遠い)
しかし、70代の都会からくる年配からしてみれば、
あちらではもう乗ることもなくなった車が
地方生活で生活必需品となると、
いきなり地方暮らしのハードルが高くなる。
両親がお試し滞在をしている伊達市の施設は、
市内中心部から車では5分とかからないが、歩くとなると
20分はかかる舟岡町のアパート。
最初から車がない生活を想定していたらしいが、
どうもそうもいかないので、最近安くなっている電動自転車に
乗ることにした。
父親は脳溢血もやったが、問題なく回復、だがそのあとの
肺がんでは2回にわたって手術をして左肺の1/3を摘出。
息が苦しくなるのでどうしても運動をしなくなる。
母親は頭蓋骨を2つに割る大手術をして脳出血を治したが
その後奇跡的に回復。歳の割にはかなり足も早く、しっかりと
している。(ただ、耳が遠い)
2009年6月5日金曜日
両親がお試し滞在?
3月に突然両親から電話があり、両親が伊達市のお試し
滞在施設の抽選に受かり、伊達市に来るとの連絡。
びっくりした。
市役所とは連携する関係もあるので、そうとわかっていれば
抽選で落としてもらったのに・・・
なんてことは無理だったかな・・・笑
まあ受かってしまってはしょうがない。
(市役所も私の親とは知らなかったらしい・・)
ということで6月初旬から滞在を始める。
おそらく興味深い取材対象になるので彼らの伊達市での
お試し生活をこれからレポートすることにしようと思う。
(本人たちは題材になっていることを知らない・・)
まずは両親の紹介。
両親は横浜のベイエリアのマンションから。
それまでは東京文京区だから首都圏を抜けて住んだことはない。
年齢は昭和11年と12年生まれだから73歳くらいか。
「都会から抜けられない」といつも言っていたのに、
息子(長男)のいる伊達市にわざわざ来るというのは
どうも弱ってきている証拠かもしれない。
父親の性格は典型的な高度経済成長時代のモーレツサラリーマン的
ステレオタイプ。某大手鉄鋼会社にいて役員までなったので
サラリーマンでは成功した部類だろう。
母親は根っからのお嬢様の出で、世間知らず。
私が楽天的なのも彼女の気質を受け継いだと思っている。
そんなふたりは、この地方都市で何をしようというのか。
滞在施設の抽選に受かり、伊達市に来るとの連絡。
びっくりした。
市役所とは連携する関係もあるので、そうとわかっていれば
抽選で落としてもらったのに・・・
なんてことは無理だったかな・・・笑
まあ受かってしまってはしょうがない。
(市役所も私の親とは知らなかったらしい・・)
ということで6月初旬から滞在を始める。
おそらく興味深い取材対象になるので彼らの伊達市での
お試し生活をこれからレポートすることにしようと思う。
(本人たちは題材になっていることを知らない・・)
まずは両親の紹介。
両親は横浜のベイエリアのマンションから。
それまでは東京文京区だから首都圏を抜けて住んだことはない。
年齢は昭和11年と12年生まれだから73歳くらいか。
「都会から抜けられない」といつも言っていたのに、
息子(長男)のいる伊達市にわざわざ来るというのは
どうも弱ってきている証拠かもしれない。
父親の性格は典型的な高度経済成長時代のモーレツサラリーマン的
ステレオタイプ。某大手鉄鋼会社にいて役員までなったので
サラリーマンでは成功した部類だろう。
母親は根っからのお嬢様の出で、世間知らず。
私が楽天的なのも彼女の気質を受け継いだと思っている。
そんなふたりは、この地方都市で何をしようというのか。
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