浜に出ると正面には船着き場らしきもの。
小さな小屋もあり、恐らく漁業関係者が作業をする
ための施設だろうか。
右側の崖面にある洞窟は、山の岩が深く削られ、
奥は深い。
この洞窟に円空は1670年くらいに訪れ、
しばらくこもって30体ほどもの仏像を彫ったといわれている。
円空は、生涯12万体の仏像を彫ったわけだが、
その膨大な数ゆえに、粗い仕上がりが特長といわれる。
この洞窟には、15年ほど前に設置された円空上人の仏像の
レプリカントが何体か並べられ、奥のお堂には彼が彫った本物の
仏像が安置されている。
お堂を開けると、そこには静かに小振りの仏像が
座っていた。
思ったよりもずっと小さい。
僕もこのお堂を開けたことがなく初めてだったのだが、
言い伝えによると、
ある修行者がこの洞窟で熊に襲われ、円空が彫ったこの仏像に
隠れて助かったという話がある。
その際に仏像の頭が食いちぎられたという。
この仏像は結局、
「明治になって、函館の商人が夢の「お告げ」に基づいて新たに頭部を
作り替えて据え付け、大正になって祠に納められた」
と、とあるウェブサイトに書いてある。
なまら北海道
http://www.namara-hokkaido.net/viewing/view.php?id=563
それにしては小さいと感じるわけ・・・・
また、仏師の橋本さんによると、
「なんか本当に円空の彫ったものなのかねえ・・・」
というコメントがあった。
真実はわかないが300年以上も前の事実に思いを馳せることは
ロマンの世界である。
つづく
2 件のコメント:
さすがに道南歴史ありますね~
森の感じもコチラと大分違います。
nishiyamaさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
確かに倭人の痕跡は道南の方が道東/道北よりも多いですね。
でも北海道はアイヌの歴史だと思います。
この洞窟も縄文時代から人が住んでいたらしく、現在その発掘が少しずつ行われています。
南日本に比べれば、北海道は文献や史跡で遺っているものは確かに少ないのですが、これはつまりアイヌの「自然と、より融合した生き方」と「文字を持たなかった」、さらに「厳しい自然環境」という要因などが重なってそうなっているということなんでしょう。
でも実は綿々と続いて来た時間の長さを北海道でもときどき感じることに気づかされます。
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